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NO331_J・・・魏志倭人伝 文法構造で解読する


まず、訓読なり現代語訳なり、いきなり上から下にむけて順次訳すのではなく、
文法的には構造(コンストラクション)といっていいでしょうが、その配置を分析します。セオリーはところどころで解説しますが、まず、大きく6つのブロックに分けます。

1番目のブロック「帯方~九州編」の主格は、帯方から倭地(奴国)までの間の諸国の状態。
2番目のブロック「会稽編」の代名詞”其”の主格は会稽の水人。
3番目のブロック「九州編」の代名詞”其”主格は、九州の地、女王国以て北の領域の地域の状態。
4番目のブロックの「倭国編Ⅰ」代名詞”其”の主格は倭国-1
5番目のブロックの「九州番外編」”其”の主格は女王国東渡海、九州から渡海する島々の国の状態
6番目のブロックの「倭国編Ⅱ」(倭国-2)代名詞”其”の主格は年号(景初と正始)です。すべて倭国が朝貢したときの記録です


魏志倭人伝は大部分は、「其」語構文、「又」また構文、どこから-どこまで構文で構成されています。どこから-どこまで構文すなわち従~至~・自~至~はとくに重要です。

書式構造を眺めてください。特徴的なのは「其」語がブロック内で連続していることです。「其」語は代名詞ですから、連続する「其」語の主格を分析することが重要です。「其」語の主格、つまり共有する主語がどこで変わるのか見極める必要があります。主格が変化するころがブロック分けの基準となります。主格が変化したところを改行し赤く色付けしています。

『三国志』中の「魏書」第30巻烏丸鮮卑東夷伝倭人条 陳寿著 (280年ー297年頃)
 ->  ->  ->  -> 倭人傳

1)帯方~九州編(主題=帯方から女王国までの間)・ロケーションは帯方沙里院から神埼市(佐賀県)~大分市(大分県)までの間
倭人在帶方東南大海之中依山㠀爲國邑舊百餘國漢時有朝見者今使譯所通三十國

<從郡>循海岸水行歷韓國乍南乍東
北岸狗邪韓國七千餘里
<從狗邪韓國>始度一海千餘里,對馬國,
大官曰卑狗副曰卑奴母離所居絶㠀方可四百餘里,土地山險多深林道路如禽鹿徑有千餘戸無良田食海物自活乗船南北市糴
<從狗邪韓國>南渡一海千餘里名曰瀚海一大國,官亦曰卑狗副曰卑奴母離方可三百里,多竹木叢林有三千許家差有田地耕田猶不足食亦南北市糴
從狗邪韓國>渡一海千餘里末盧國,有四千餘戸濱山海居草木茂盛行不見前人好捕魚鰒水無深淺皆沈没取之
<從末盧国>東南陸行五百里伊都國,官曰爾支副曰泄謨觚柄渠觚有千餘戸
*このブロックは郡から伊都国までの間の状態を書いています。*到の文字は最終到着地であることを指示し、このブロックでは伊都国が最終地点です。

王皆統屬女王國郡使往來常所駐

<自女王国>東南奴國百里,官曰兕馬觚副曰卑奴母離有二萬戸

孫ブロック(奴国の東に並ぶ)
<自奴国>
不彌國百里,官曰多模副曰卑奴母離有千餘家
<自郡>投馬國水行二十日,官曰彌彌副曰彌彌那利可五萬餘戸
<自郡>邪馬壹國女王之所都水行十日陸行一月,官有伊支馬次曰彌馬升次曰彌馬獲支次曰奴佳鞮可七萬餘戸


*女王国より先の諸国の方位、距離が示されます。奴国から東ラインに転向します。Bブロックは書式が変わり、自至の構文になります。


 自女王國以北戸數道里可得略載
孫ブロック

 餘旁國遠絶不可得詳次;斯馬國次;巳百支國次;伊邪國次;都支國次;彌奴國次;好古都國次;不呼國次;姐奴國次;對蘇國次;蘇奴國次;呼邑國次;華奴蘇奴國次; 鬼國次;爲吾國次;鬼奴國次;邪馬国次;躬臣国次;巴利国次;支惟國次;鳥奴國次;


*遠絶の絶は九州から海で断ち切られたという意味で、これらの諸国は四国、中国、近畿地方にあります。
 
奴國此女王境界所盡
南有狗奴國男子爲王官有狗古智卑狗不屬女王


*①の其は女王、②の其は狗奴国を主格にしています。女王と狗奴国の地理的な関係を示す重要な文節です。

  
自郡至女王國萬二千餘里


*ABブロックの締めくくりです。大外の大ブロックです。自郡至女王國萬二千餘里はこの里程のすべてを拘束します。

2)会稽編 (「其」語の主格:倭の水人、すなわち会稽の倭人;ロケーションは中国浙江省紹興市~船山群島
   男子無大小皆黥面丈身古以來
         *古以來は「昔からずっと」と訳し、現在まで継続している様子となります。
  A’
使詣中國皆自穪大夫夏后少康之子封於會稽斷髪丈身以避蛟龍之害,今倭水人好沉没捕魚蛤丈身亦以厭大魚水禽後稍以爲飾諸國丈身各異或左或右或大或小尊卑有差計

文頭の其語は倭水人に置き換わり、主格が倭水人となります。上の原文にある「丈」は「文」の誤記です。ここから会稽の倭粋人が主格になります。
B’
道里當在會稽東,治
C’
風俗不淫男子皆露紒以木緜招頭
D’
衣横幅但結束相連略無縫婦人被髪屈紒作衣如單被穿
E’
中央貫頭衣之種禾稻紵麻蠺桑緝績出細紵縑緜
F’
地無牛馬虎豹羊鵲兵用矛楯木弓木弓短下長上竹箭或鐵鏃或骨鏃所有無與擔耳朱崖同倭地温暖冬夏食生菜皆徒跣有屋室父母兄弟臥息異處以朱丹塗身體如中國用粉也食飲用籩豆手食
G’
死有棺無槨封土作冢始死停喪十餘日當時不食肉喪主哭泣他人就歌舞飲酒已葬擧家詣水中澡浴以如練沐
H’
行來渡海詣中國恒使一人不梳頭不去蟣蝨衣服垢汚不食肉不近婦人如喪人名之爲持衰若行者吉善共顧
I’
生口財物若有疾病遭暴害便欲殺之謂持衰

3)九州編 (「其」語の主格;真珠青玉を産出する地)
  
   ⇒  出真珠靑玉)
   J'
山有丹


*ここから倭、九州本島の倭人が主格になります。
   K'
木有枏杼豫樟楺櫪投橿烏號楓香
  L'
竹蓧簳桃支有薑橘椒蘘荷不知以爲滋味有獮猴黒雉
  M'
俗擧事行來有所云爲輒灼骨而卜以占吉凶先告所卜,辭如令龜法視火坼占兆
  N'
會同坐起父子男女無別人性嗜酒
【注釈:魏略曰俗不知正歳四節但計春耕秋収為年紀】
見大人所敬但摶手以當跪拝
  O'
人壽考或百年或八九十年
  P'
俗國大人皆四五婦下戸或二三婦婦人不淫不妬忌不盗竊少諍訟
  Q'
犯法輕者没

妻子重者滅

門戸及宗族尊卑各有差序足相臣服,収租賦有邸閣國國有市交易有無使大倭監之 自女王國以北特置一大率檢察諸國諸國畏憚之常治伊都國,於國中有如刺史,王遣使詣京都帶方郡諸韓國及郡使倭國皆臨津搜露,傳送文書賜遺之物詣女王不得差錯,下戸與大人相逢道路逡巡入草,傳辭説事或蹲或跪兩手據地爲之恭敬對應聲曰噫比如然諾
  R'
本亦以男子爲王住七八十年,

ここで其の主格は女王国になります。倭国ではありません。

4)倭国編Ⅰ(主格=倭国)
Q'
倭國亂相攻伐歷年乃共立一女子爲,王名曰卑彌呼事鬼道能惑衆,年已長大無夫婿有男弟佐治國自爲王,以來少有見者,以婢千人自侍,唯有男子一人給飲食傳辭出入居處宮室,樓觀城柵嚴設常有人持兵守衞

*倭国について書かれますが、九州の地を視点にしています。

5)九州外編(「其」の語および「又」語の主格=女王国東の地点=九州の東北海岸)
女王國東渡海千餘里復有,國皆倭種
有侏儒國有,南人長三四尺去女王四千餘里
有裸國黒齒國復在,東南船行一年可至,參問倭地絶在海中洲㠀之上或絶或連周旋可五千餘里

*九州東北海岸から放射状に海上の島嶼の国々が書かれます。女王国には属していません。

6-1)倭国編Ⅱ以下すべて倭国が貢献してきたときの記録ですから、すべての年次項は倭国からの使者が洛陽に詣でたということが大前提です。

6-1)「其」語の主格=年号):景初。
景初二年六月倭女王遣大夫難升米等詣郡求詣天子朝献太守劉夏遣吏將送詣京都

年十二月,詔書報"倭女王"曰制詔"親魏倭王卑彌呼","帶方太守劉夏"遣使送汝"大夫難升米次使都市牛利"奉,汝所獻男生口四人女生口六人,班布二匹二丈,以到汝所在踰遠乃遣使貢獻是汝之忠孝我甚哀汝,今以汝爲"親魏倭王",金印紫綬装封付帶方太守假授,汝綏撫種人勉爲孝順汝來使難升米牛利渉遠道路勤勞,今以難升米爲率善中郎將牛利爲率善校尉假銀印靑綬引見勞賜遣還今以絳地交龍錦五匹, 絳地縐粟罽十張,蒨絳五十匹,紺青五十匹,荅汝所獻貢直,特賜汝紺地句文錦三匹,細班華罽五張.白絹五十匹,金八兩,五尺刀二口,銅鏡百枚,真珠鈆丹各五十斤,皆裝封付難升米牛利還到録悉可以示汝國中人使知國家哀汝故鄭重賜汝好物也


*ここからは年号が冒頭に書かれ、めずらしい年表式の記述になります。以下、すべて、雒陽で記録された倭国の朝貢について書かれます。
6-2)「其」語の主格:正始
正始元年"太守弓遵遣建中校尉梯儁等奉,詔書印綬詣倭國拝假,倭王并齎詔賜,金帛錦,罽刀,鏡釆物,倭王因使上表荅謝詔恩

四年倭王復遣使"大夫伊聲耆掖邪狗"等八人上獻生口,倭錦絳靑 縑緜衣,帛布,丹木𤝔短弓,矢掖邪狗等壹"率善中郎將"印綬

六年詔賜"倭難升米"黄幢付郡假授

八年"太守王頎"到官,倭女王卑彌呼與狗奴國男王卑彌弓呼素不和,遣倭載斯烏越等詣郡説相攻撃状,遣"塞曹掾史張政"等因齎詔書黄幢拝假,難升米爲檄告喩之,卑彌呼以死大作冢徑百餘歩徇葬者奴婢百餘人,更立男王國中不服,更相誅殺當時殺千餘人,復立"卑彌呼宗女壹與"年十三爲王,國中遂定,政等以檄告喩壹與,壹與遣"倭大夫率善中郎將掖邪狗"等二十人送政等還,因詣臺獻上男女生口三十人,貢白珠五千孔 靑大句珠二枚,異丈親錦二十匹


*正始元年、太守弓遵が配下の建忠校尉に命じて倭国を洛陽での改元朝賀に奉じさせます。奉の後ろで区切りを入れて解読します。

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